◆はじめに
昭和二十年八月十五日。第二次世界大戦は日本の敗戦で終了した。
もう半世紀以上も前のことになるが、この戦いで、東京をはじめとするいくつかの主要都市が焦土と化し、数え切れない人命が犠牲となった。
望む望まないにかかわらず、戦争に駆り出された人々も、海や空で、進駐先の他国で、その多くが尊い命を失った。
国の内外を問わず、かろうじて生き残った人々も心身の疲労がはなただしく、肉親も住処も失い焦土をさ迷う人々に救済の手は届くべくもなかった。戦争末期の日本は、まさに地獄絵図そのものであった。
当時、中国や朝鮮にはたくさんの日本人が住んでいたのだが、日本敗戦となるや、その人々は一夜にして他国の侵略者として追われる立場となり、その過酷な逃避行の途中、異国の荒野で命を落とした犠牲者の数は二十万人以上とも言われている。
その結果置き去りになった子供達は残留孤児となり、その多くは長期間にわたって辛酸を舐める苦労を強いられることとなってしまった。
八月十五日の始まった、外地居住日本人のあまりにも酷い運命は、私がその一員であったことを抜きにしても涙を禁じ得ない。
取り返しのつかないさまざまな犠牲を払いながら、日本はやっと平和を取り戻したが、以後、日本の復興と成長はいちじるしく、現在ではあの頃の出来事がまるで嘘のように思えるほど、豊かな暮らし享受する毎日である。
年を経て、あの戦争を知る世代はもう老齢となり、戦争を知らない人達が人口の七割をしめる昨今である。
何しろ戦争当時六歳だった私が、今や還暦を五つも越える爺さんになってしまったのだから、戦争記念日といっても、なんのことだか皆皆目判らないという人達が増えるのも致し方のないことなのだろう。
今日では、第二次世界大戦はすっかり過去の事となり、忌まわしいその記憶も歴史のページの中に埋もれかけている。
日本以外でも戦争で苦しんだ国は多々有って、戦争の残酷さ恐ろしさは充分学んだはずなのに、現在でも相変わらず地球のそこここで戦争が勃発し、人命が失われ、たくさんの涙が流され続けているのは情けない。
漫画家仲間には私を含めて、満州からの引揚者が多い。 皆それぞれに混乱の中を逃げ惑い生き延びた。
もしかしたら残留孤児だったかも知れないという話も良く聞く。
この本は、その時代を生き、戦争を肌で感じた我々仲間達の、昭和二十年八月十五日の記録である。
戦う日本が平和な日本に生まれ変わったその日、その時、それぞれが何処にいて何を考え、何をしていたか。
戦禍をくぐって今日まで生き延びた人々のそれぞれのドラマティックな一日を描いた作品は、その一つ一つが平和な世界への道標のような気がする。
我々の趣旨に賛同し、それぞれ、絵や文章を寄せて下さった戦後生まれの方々の作品も加えて、重みのある一冊となったこの「私の八月十五日」。
一人でも多くの方に見て頂き、戦争について平和について、あらためて考えて頂ければ幸いだと思う。
二〇〇四年 七月
森田拳次